イスラム教の聖典「コーラン」が憎しみをもって焼却された日

世界を破壊しようとする悪魔がいる。物語や小説のなかでの抽象的な悪魔ではない。要するに悪魔とはある特定の人間のこと、この世の中で、悪魔よりもはるかに恐ろしい活動を展開する「人間」という悪魔は、常に善良な人間をどうやって地獄に送りこむかを考え実行している。こうした存在によって、世界は常に悲劇的な戦争に巻き込まれる。


9.11の同時多発テロやモスクの建設計画に関係したとして、イスラム教徒に憎しみをもったあるキリスト教会の牧師が、「コーランとは愛ではなくて、憎しみの本である」と公言してメディアの前でコーランを焼き捨てたという。


なんという行為!!なんという悲しみ!こうした方法で異教徒間の憎しみを助長させる「行い」を実行する存在は、人類にとっては悪魔と読んでも決してさしつかえない。人間は、世の中で決してやってはならないことが厳として存在しているのを知らねばならない。


イスラム教の聖典であるコーランを異教徒が焼却するということは、イスラム教徒にとっては、想像もできないほど恐ろしく忌わしく怒りに満ちることである。それはイスラム教をよく知らない日本人には理解できないだろうが、おそらくは最も大切な両親の仏壇や卒塔婆などを、他人に足で踏んづけられたり、焼却されたりするる行為に似ていると言えるかもしれない。しかしコーランを焼かれるとはそうした行為をはるかに上回って、イスラム教徒には怒りにみちたものとなるだろう。


もちろんこれはアメリカのあるキリスト教の牧師の行為だと言って今後は、どこか田舎の狂った牧師というように扱うかもしれないが、歴史をみるとそうではない。中世にはイスラム教徒を排撃するために十字軍の遠征があったり、アメリカ前大統領のブッシュのように、キリスト教原理主義に傾倒し、アフガニスタンを攻撃する米英軍を十字軍だと発言して物議をかもし出したりしたことも記憶に新しい。 彼らにとってはイラク・アフガニスタン戦争も、キリスト対イスラムの十字軍戦争の継続という宗教的概念から発生 しているのであり、こうした教会の一牧師の行為となんら変わることがない狂信的な人間達の仕業である。

イラク戦争で最も苦しんでいるのは、イラクの国民自身だ。そしてイラク戦争が意味したもの?それは巨大な石油権益を得た者たちが存在していることとイラク市民と兵士たちのおびただしい血と悲しみ。それはアメリカの若い兵隊たちも同様である。そのイラク国民が最も嫌がる「コーランの聖典の焼却」が、今回どれだけの大きな衝撃をイスラム世界に与えることか、アメリカの世論や司法当局がこうした行為に厳とした対応をしない限り世界は、悲劇的な大戦を引き起こすことになるだろう。


人類とは、人類に対して最もやってはならないことを平気で行って地獄を創造する悲劇的な動物である。

今回のこの行為と報道によって、世界は暗澹たる時代に突入したと言えるだろう。人間世界には、報道してよいことと報道してはいけないことが存在する。しかしマスコミも、イスラム教徒の嫌がることを誇張して報道しているが、この結果は、善良なイスラム教徒をすべて過激派集団の考えと同じに追いやる結果となるだろう。





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