文字の書けない娘に、父がどうやって感動的な便りを書かせたのか?

9月24日の天声人語を読んで感動した。その記事は、向田邦子さんが書いた文章をネタにしたものであるが、その記事の主人公は、向田邦子さんではなく彼女の妹と父である。向田さんの父は、さすが。この父にして、この娘あり。娘を思う父の愛情があふれている。

天声人語の一節を抜粋すると、
「戦争の末期、妹を学童疎開に出した思い出を向田邦子さんが書いている。まだ字のおぼつかない妹に、父親は自分の宛名(あてな)を書いたはがきをたくさん持たせた。「元気な時は大きいマルを書いて毎日出すように」と言いつけたそうだ。初めは大きなマルが届いた。だが寂しさからか、マルは次第に小さくなって、いつしかバツに変わった。いたいけな印を、父親は黙りこくって見つめていたそうだ。・・・・・向田さんの話に戻れば、妹は疎開先で病気になった。やっと帰ってきたとき、父親は裸足で玄関を飛び出し、抱きしめて泣いたそうだ。

幼い子どもにとって、戦争中の家族と引き離された学童疎開では、さまざまの辛いことや悲しいことがあったに違いないだろうが、父娘がこうしたハガキによるコミュニケーションを行っていたということは、なんとも感動的な話だ。父は娘の気持ちを手に取るように感じることができ、娘も父に向けて、疎開先から自分の気持ちをマルやバツを通じて容易に表現できる。

ここには言葉や識字の原点というものが存在しているように思う。言葉や識字は、どんなに単純な印でも、人を元気づけるものであろう。それは携帯電話などに見る絵文字にも表れているが、単純で思いが深ければ深いほど、人を大きく動かすものとなる。

これは疎開先の娘が、父に向けて記したものだが、2010年9月、栃木県で発覚した虐待の記事は余りにも悲しい。虐待を受けていた12歳になる娘は継父から日記をつけるように言われ、殴られた日でも、娘は毎日心にもなく「お父さん大好きです」とつづっていたという。そして、娘は虐待を受けた日は、継父には気づかれないように、日記にこっそりと小さな印をつけていたというのだが、こちらの印は、なんともやりきれない表現だ。それは疎開先からマル印を書いて送っていた娘の印とは、余りにも異なる。

天声人語は、
「それが傷害容疑を裏付ける証拠にもなったそうだ。ひそかな印は誰に、どんな思いを伝えたくてのことだったろう。低栄養の状態で、体重は22キロしかなかったという」

どちらのマル印も、人間の気持ちを表現する大きなコミュニケーションとなっているが、この二人の娘が二人の父との間で表現したマル印には、確かに、幸せな家庭に育った子どもとそうでない子どもが育った家庭との巨大な格差があるのを感じさせる。そして表現というものは、長い文章を書かなくても、どんなに些細な印でも、そこに気持ちが存在する以上、最も雄弁に真実を伝える識字となっている。

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