日米友好親善のシンボル、「ポトマックの桜」

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1800年に連邦政府の特別都市として開設されたワシントンDCは、河と木立と公園に囲まれた美しい街で、「公園都市」とも呼ばれています。この街の南西部にはポトマック河が流れ、河畔に広がるポトマック公園では、かの有名な「ポトマックの桜」が花を咲かせます。

春の訪れとともに、ポトマック河畔をピンクの花で覆いつくす桜は、今から98年前の1912年に、東京市から送られた3000本の苗木によって始まったものです。では、誰が、どんな目的でポトマック河畔に桜を植樹することになったのか?「ポトマックの桜」の来歴を紹介してみましょう。

そもそもワシントンDCに桜の木を育てようという計画は、日本の桜に魅せられた4人の共通の夢が結実したものです。最初に夢みたのは、エリザ・R・シドモア女史。紀行作家、写真家であるだけでなく、「ナショナル・ジオグラフィック・ソサイェティー」の理事でもあったシドモアは、1884年に初めて日本を訪問します。数ヶ月間の滞在中に日本中を歩き回るなか、4月の向島で見た桜の美しさに心を奪われました。


翌年、ワシントンに戻ったシドモアは、桜の詩的な美しさをこの街に再現できないかという思いを強くしました。そこで、まだ緑地公園化されていない建築現場のようなポトマック埋立地に桜並木を造園することを考えて、所轄官庁や関係者に働きかけます。自らも「1ドル募金」を開始して、毎年100本の桜を河畔に植樹する活動を始めたのです。


埋め立て地のイースト・ポトマック堤に桜並木道を作ろうという夢を描いたもう一人に、米国農務省の植物調査官であるディビッド・フェアチャイルド博士がいます。調査研究で世界中を旅行した博士は、1904年頃に日本を訪れました。日本で桜の開花を目にする機会はなかったものの、樹木と絵や写真で見る桜の美しさに魅了された一人でした。そして横浜の庭木園芸商から125本の桜木を輸入すると、メリーランド州チェビーチェイスにある自分の庭園に植樹します。東洋の桜木がアメリカの土壌に適性するかどうかを試みたところ、問題なく根を張り、見事な桜を開花させました。試験的植樹の成功に喜ぶフェアチャイルド博士夫妻は、ワシントンDC市内に桜の木を広める決意を固めていきます。夫妻は、シドモアの桜奨励活動を後押しするだけでなく、自らも、公園通りに桜並木を作ることを提唱するようになりました。



日本の桜の美しさをアメリカの地に花開かせたいという二人の夢が、具体的な形で結集するのは、1909年のこと。この年の4月、ウイリアム・タフトが第27代目大統領に就任すると、大統領夫人のヘレン・タフトは、ポトマック埋め立て地域の公園化計画に参与することになったのです。新しい公園に桜の優雅な景観を移植したいと考えるタフト夫人は、桜の苗木購入を主導するだけでなく、民間からの苗木提供を受け入れるなど、積極的な活動を推進します。ヘレン・タフトは、ファーストレディーになる前の1903年ごろ、家族とともに日本を訪れました。その折に荒川堤に咲き誇る五色桜を見て、その優雅さに心を奪われたと言われています。



シドモア女史は、タフト大統領夫人に対して手紙で桜の植樹を強く訴えました。フェアチャイルド博士も、日本で買い求めた桜並木の絵や写真を贈るとともに、桜並木の推進を強く支持したのです。
折りしも、ポトマックの桜植樹にもう一人の強い協力者が現れました。ニューヨークに在住する日本人科学者で、消化薬の元になる「タカジヤスターゼ」やホルモンの「アドレナリン」を発見した高峰譲吉博士です。ポトマック公園に桜を植樹したいというタフト大統領夫人のニュースを知ると、ファーストレディーを訪ねて、東京市から2000本の桜苗木を寄贈することを約束するのです。そして、日本の外交ルートを通じて、東京市長の尾崎行雄に協力を要請しました。尾崎は、日米親善のために桜の寄贈を決定すると、1909年11月には2000本の桜木を横浜港からワシントンに向けて出航します。桜の苗木は、翌年1月6日にワシントンへ到着しますが、桜の樹木は病害虫に食われ、病気に犯されていました。誰もがため息とともに、泣き泣き焼却しなければなりませんでした。



日米親善の桜が大失敗に終わったという事実を知った高峰博士と尾崎市長は、タフト大統領に向けて謝罪文を送るとともに、再び桜木を贈ることを約束します。そして、無害虫の桜苗木を育てるために、綿密な計画が練られました。東京足立区にある荒川堤の桜から取った穂木を、兵庫県東野村の台木に接ぎ木をし、それを静岡県興津にある興津園芸試験場に移して、完全に健康な苗木を育てたのです。こうして3020本の桜苗木が阿波丸に積み込まれ、1912年2月14日に横浜港を出航します。ソメイヨシノを中心とした12種の桜でした。シアトルからは農務省差し向けの冷蔵貨車に乗せられ、大陸を横断してワシントンに到着したのは3月26日。到着と同時に、農務省による苗木の検疫検査が行われ、全て健康な苗木であることが確認されました。


そして翌27日の午後は、植樹式です。ヘレン・タフト大統領夫人の手によって最初の桜が、続いて珍田捨己駐米大使夫人のヴィスカウンティスが桜を植樹します。場所は、タイダル池の北側で、現在、石灯籠の建つ近くの河畔でした。ささやかなセレモニーであったとは言え、ホワイトハウス、農務省、日本大使館のスタッフが集まりました。参列者の中に、長年の夢が叶ったシドモア女史の姿も見えます。しかしながら、フェアチャイルド博士夫妻の姿は見られませんでした。最初に寄贈された桜の失敗について当時の新聞が批判的な書き方をしたようで、それに対する不快の念があったからだとも言われています。それはさておき、100年前の日本と日本の桜を知る少数のアメリカ人が、桜を愛し、桜の詩情を理解し、そして桜をポトマック河畔に花咲かせたいと願った人たちの夢が叶った瞬間でした。


その後の桜と日米友好親善の話を続けましょう。桜の寄贈に喜ぶアメリカ政府は、その返礼として、1915年にハナミズキの苗木40本を日本に贈りました。当時の日比谷公園を初め、都内の公園や植物園に植栽されたと伝えられています。その原木の一部が、世田谷区の東京都立園芸高等学校、東京大学付属の小石川植物園、そして静岡市の農水省果樹試験場に健在だそうです。さらに、太平洋戦争後の1952年、ポトマックの桜の母木となった荒川堤の桜木が枯死しかけているというニュースを知ったワシントンDCは、救済のために、ポトマック河畔で成長した桜木を里帰りさせました。1954年には、マシュウ・ペリー提督による日本開国100周年を記念して、東京都から石灯籠が届けられました。

上野寛永寺で350年以上の歴史をもつ灯籠です。この灯籠は、4月の「桜まつり」開催の点火式に使用されています。続いて1958年、神奈川条約締結100周年を記念した石仏塔が横浜市から送られて来ました。2柱の石塔は、現在もポトマック河畔に林立する桜を見守るかのように佇んでいます。


桜木の寄贈も絶えることはありません。1965年には、3800本の桜木がレディーバード・ジョンソン大統領夫人に贈られると、ワシントン・モニュメント付近に植樹されました。近年では、1996年のクリントン大統領訪日を記念した100本の桜が、ポトマック河岸に植樹されています。こうして8000本以上の桜が根付いているポトマック河畔は、東京上野公園に勝るとも劣らない桜の名所なのです。満開の桜の下、河畔をそぞろ歩きする人を眺めていると、花を愛でる心に国境も時間もない普遍性を覚えて止みません。

April 15, 2010
海野 優

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