ヒューマン・リテラシーと循環型社会

田舎暮らしをしたいという思いで二十数年住んだ東京から島根の山の中へ移住して3年が経った。河川改修で一時少なくなっていたため今年初めて見ることができたおびただしい数の蛍の乱舞から、改めて自然の豊かさと脆弱さ、自然を改変する人間の暴力的力を感じ、狭くなった地球に必要とされる循環型社会とは何かを考えさせられている。

 ここは1000m級の山に囲まれた西中国山地の山村で、島根県側は幸いにも比較的に針葉樹林が少なく、多様な動植物昆虫が見られ、分校跡のわが家にもニホンアナグマ(ムジナ)やテンが住みつき、ミミズクをはじめ様々な鳥の声で賑やかな庭先には猪や熊(ツキノワグマ)まで出没する。

 猪と熊については農作物、蜜蜂を荒らすために社会問題化しているが、こうした大型動物が多いこともあってHPここにはまだ狩猟採取文化が残っていて、猪と熊の狩猟(熊は保護動物だが人家周辺に出没するため村だけでも昨年8頭が害獣として駆除された)、テンの毛皮とり、渓流魚やツガニ捕り、山柿の柿渋つくり、養蜂(ニホンミツバチ)、山菜やキハダ・オウレンなどの薬用染料植物の採取など、想像以上に豊かな狩猟採取文化に接することができた。

 しかし、こうした動植物の生態や天候、季節、地形を知り尽くした自給自足的生活文化、いうなれば究極的な循環技術も70代の人々を中心にわずかに行われるだけになり、勤めに忙しい50代から下の世代へはほとんど伝わらず、豊かな自然が残されていながら、知識や技術とともに文化も失われていくという現実があって、リテラシー(知識と技術)が社会、文化といかに関わりが深く、何が人間を豊かにするのかということを考えさせられる。

 リテラシーという言葉は情報リテラシーやメディアリテラシーというような使われかたで普及し、OECDではリテラシーを人間の生きるための知識と技術というような大きな概念でとらえて、15歳の少年少女を対象に、読解力、数学的、科学的の3部門に分けて学習到達度試験を世界的に行っているが、そこで使われるリテラシーは分析的、技術的なものに規定されてしまう考え方のようで、ICLCでめざすヒューマンリテラシーは、たとえば西洋医学に対する東洋医学的な、もっと総合的で直感的、アクティブなものではないかと考えている。

 パキスタンで行われているヒューマンリテラシーの実践である紙づくりや絵本づくりの活動にしても、文化に立脚し、自己変革的、自給自足的(地域経済)であることから、地球を舞台にした文化のコラボレーションとなり、都市産業化した日本社会を映す鏡にもなっていて、単なる生活支援、経済自立といった援助活動を質的に超え、循環性を持った変革になっているように思われる。

 来たるべき循環型グローバル社会へ向けて、このように総合性と循環性を持ったヒューマンリテラシーは、人類が生き延びるためのデザイン、自己変革の方法としてますます役割が大きく明確になっていくものと期待している。

重栖俊夫 (建築家、ICLC)


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