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zoom RSS 識字は、生存に必要な人権教育   その2

<<   作成日時 : 2011/09/14 18:41   >>

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紙を漉くことと識字活動

三番目はコミュニティのおとなに効果的な識字教育を推進することであった。おとなの識字とは、毎日の生活向上をはかるために実際に役立つ知識、情報、技術を具体的に生活の中で活用する能力を意味している。だから、知識や情報は生活のための収入向上や環境の改善など現実に結びつくものが必要だ。とくに女性が果たしている役割は大きい。

私は多くの学校を訪問しているとき、子どもたちから口々に「コピーをください」と求められた。コピーとはいったい何の意味か、初めはわからなかったが、すぐにノートを意味していることがわかった。通常、ほとんどすべての学校では五歳から十四歳までの子どもたちは、羽子板のような板版に白土を塗って乾かし上に、水に溶いた粉インクを竹ペンにつけて書いていた。これは何度でも書き直しできるので随分便利なものだと思っていたが、反面次に書くときには塗り直さなくてはいけないので、実にやっかいだ。冬の寒い時にはたくさんの子どもたちがこのタクテイ(板版)を塗り直すために小川で洗っている風景を目にしたが、実に寒そうだった。しかも冬日なので土で塗り直してもなかなか乾かない。

しかし子どもたちが、直面している問題は、そうではなく、書いたものや記録をすべて消さなければならないということが問題だったのだ。考えてみると文字や絵は紙に書いて記録しないと確かな記録とはならない。浜辺の砂文字のように、波に消される運命にあるものかも知れないものは不確かだ。識字と紙は表裏の関係にあり、人は岩や紙や皮などに文字を書いて情報を保存したとき、初めて表現や伝達の喜びをかみしめたのではなかったか。



紙の使用量と教育の関係は正比例している。紙は文化のバロメーターともいうが、ノートにしても絵本にしても、日本を含め先進諸国では無尽蔵の紙を消費している様相がある。それも他国の森林伐採などの犠牲によって。しかしパキスタンのような途上国のほとんどは、紙パルプを自国で生産することは少なく、輸入品が多い。だから、ノート類にしても非常に値段が高い。そこで私は困ってしまった。子どもたちの要請にどう答えるか考え続けていたとき、沖縄のさとうきびの残滓(バガス)から紙が作られているのを知った。「そうだ。サトウキビならパキスタンにはたくさんある。砂糖を搾り取ったあとの残滓は燃料にするか、家畜の飼料にするかである。これを使ったら」と思い、早速自宅に工房を設置した。それから庭や野山に生えている植物の繊維はすべて試みようとバナナの幹や葉(バナナの実を収穫すると切り倒す)、竹のささ、野生の桑の皮、茅、びわの葉、麦わら、稲わらなどを使って紙漉きをはじめたのであった。

最初はせんべいみたいな厚さであったが、日本の和紙の漉き方のような独自な創意工夫を重ね、三重大学の木村先生や三塚さん、重栖さん、黒川さんなど多数の友人の協力などを得て、とうとう一年後にはどのような雑草からも簡単に紙が漉けるようになった。とくにパキスタンの夏日にあわせて素早く紙を板に脹れる新しい方法も開発できたのは効果的だった。


これを見て人々は驚嘆した。バナナの緑の葉から紙ができる。サトウキビの残滓から紙ができるというニュースはあっという間に広まっていった。そこで私は特定の人々だけにこうした技術が伝わると、すぐに技術の特権グループができると思われたので、なるべく多くの人々に教えようと決意した。なかでも社会的に恵まれていない環境に生きている人々に真っ先に伝えようと思った。紙作りと識字教育を効果的に結びつけるためにも。


まず最初に選んだのは、アフガニスタンの国境近くに住んでいる非イスラム教徒の人口はわずか約5千人という少数民族のカラーシャの人々であった。谷川に生えている柳の皮や使い古しの紙箱などを使って次々と紙を漉き始めた。最初に好奇心に満ちた眼で集まったのはたくさんの子どもたちであった。かれらは不思議なものでも見るように食い入る様に見つめていた。そしてやがてカラーシャの若者たちが、そして成人女性、最後には長老までがこの紙漉きに参加した。紙という存在が都市から送られてくるのを待つのではなく、自分たちの力で紙を創造する、という自信に満ちた彼らの喜びの顔を忘れることができない。しかも漉きあげた紙を板に張りだし、乾くとすぐにその紙を剥がして、その上に若者たちは線画を使って思い思いの絵を、線画を使ってカラフルに描き始めた。文字をもたない村に伝わってきたさまざまの動物や人間や生活を。識字の原点の喜びが刻まれ始め、長い間、表現したいと思っていたカラーシャの人々の心に灯がともった瞬間だった。



おもしろいことに描かれたすべての動物は糞をしている。生きているという証しなのか。それをじっと見つめている子どもたちの目。その輝く目やその場こそ私の求めていたコミュニテイのノンフォーマル教育の現場であったのだ。自分たちの文化を表現でき、それを記録できる驚きと喜びが入り混じりながらカラーシャの人々のワークショップは続いた。カラーシャの村に嫁いでいる日本人の和田晶子さんは、若者たちに情熱をもって指導し、このワークショップを通じて、人々は自分たちを実に生き生きと表現し始めた。とくに子どもたちや若い女性たちは夢中だった。それからは新しい絵本や絵葉書などをクルミの殻を炭にして作った墨で描きはじめるようになり、紙漉きは収入向上にも貢献し村おこしの重要な役割を演じ始めた。

この日はその記念すべき最初の日となった。また全国の農村地域で子どもたちを教えている女性の教師、キリスト教徒のNGOや障害者の子どもたちにも教えた。知的障害のある子どもは、自分で漉いた紙に絵を描きそれを受け取った人々の嬉しそうな表情を見て、大喜びし表現することに自信をつけ始めた。そしてラホール、イスラマバード、カラチ、ハイデラバードなど全国の大学の芸術関係者なども含め五十五回のワークショップを開催した。自宅の工房へはイスラムの聖なる金曜日にも休日の日曜日にも人の絶えることはなかった。そして千五百人を超える人々がこの技術を手にしたのである。

刑務所の中に作られた子ども図書館

人はどこでだれに会うかわからない。どこで誰が聞き耳をたてているかわからない。しかしその場その場で必要と思われることをしゃべるのではなく、私はいつも本音で語ることが必要だと思っている。本音は人との新しい出会いを作るからだ。あるとき識字教育に関する会議で発言を求められたとき、

「もちろん、このようなワークショップや会議開催も必要ですがね、パキスタンのホテルではいつもこのような会議が開かれおり、だれもかれもが口角沫を飛ばしてしゃべっています。カラフルな事業報告書はどのオフィースにもうず高く積んでありますが、果たして現実を改善しているのでしょうか?政府を筆頭に口や言葉ではなく実際の行動こそが必要なのです。皆さん!会議で決めたことは確実に実行して下さい。今は発言を止めて実行する時です。実行!」と私は叫んでしまった。すると会場からいくつか賛同の声が上がったが、その中に社会福祉省の女性がいた。彼女は「あなたの本音の発言にとても感動しました。言葉ではなく実行が必要なのです。実はパキスタンの刑務所に収容されている子どもたちが今大変な状況に置かれています。是非私たちの仕事に協力して下さい」と言った。そのため彼女の依頼で、パキスタンの刑務所に収容されている子どもたちのための協力活動を始めことになった。

私は刑務所に収容された子どもたちの実情は全く知らなかったので、まず全パキスタンで収容されている子どもの実情を記した資料を要請した。しかし、いつまでたっても彼女から報告書や数字らしい数字が示されない。「なぜ、いろいろの数字が示されないのですか。客観的な実情を知っておかないと、つまり子どもたちが何ヶ所の刑務所にどのくらいの数で収容されており、どのような心理状態におかれているか知らないと何もできないのはおわかりでしょう?それともあなたは、上司から外国人にはそのような詳しい実情を話すなと口止めされているのでは?」と問いかけると、最初は強く否定していたが、やがて「はい」と素直にうなずいた。


そして全国の80箇所の刑務所に約7千人の子どもたちが収容されているのを知った。私はどの国でも、刑務所に収容された子どもたちの問題に取り組むのは実に困難なことは知っている。それぞれの国の社会的恥部でもあり、国際的な人権問題に広がることも極力恐れているからだ。しかし「協力が必要でしたら私に怪我をした患部を見せて下さい。頭に怪我をしているのに足に包帯を巻いてもなんにもなりませんからね。」と言って刑務所の実態調査をすることを強く要請した。

こうして初めて刑務所に足を踏み入れた、私は約四千人の大人と約二百名の子どもたち(十歳から十八歳)が収容されている大きな監房を訪れた。看守がいかにも威厳をもって警棒を振り回している。聞き取り調査の結果、貧困や無知のために犯罪者に仕立てられた無実の子どもたちや大人の犯罪に利用された多数の子どもたちの話を聞いた。窃盗、麻薬運び、殺人、浮浪罪などあらゆる罪名がつけられていた。家庭の貧しさからくる無数の小さなジャンバルジャンの目を牢獄に見た。

調査のとき、「お願いです。僕が捕まっていることを家族に知らせて下さい!僕は誰も殺していない。」と訴えた子どもがいた。これは犯罪を犯した大人が無知な貧しい子どもを犯罪者に仕立てたケースだった。すぐに弁護士に連絡した。リーガル・リテラシーという言葉がある。法的な必要な識字による知識を意味しているが、情報化社会と言われながらも、自由に人生を選択できる子どもたちは、世界でも非常に限られている。こうした状況は、パキスタンに限らず世界的な傾向であるが、近年はますます弱年の子どもに武器を渡し戦争の担い手にしたり、犯罪者に仕立てられる子どもの数が激増している。知識や想像は、彼らの精神的な大きな癒しになり拠り所になり、自立の力となるはずだ。私は苦しんだ。なんとかして家庭や社会や知識から遮断された子どもたちを救いたい!知識や本を読む喜びは富裕な人々だけのものではない。


こうした調査をもとにして、私はこの刑務所での最初の仕事を狭い劣悪な監獄に収容されている子どもに、クリケットやバドミントンなどスポーツ用具を贈呈することであった。成長盛りのかれらを太陽の下でスポーツさせることが彼らの健康を確保する道につながる。刑務所長はこの申し出を承諾した。性急に人権問題として取り上げると、関係者はすぐに実態を遮断するために少しづつ彼らの考えを変えていった。そして次に子どもたちの将来の自立のために「新聞紙を再生する紙漉きのワークショップ」を開いた。色とりどりの紙が新聞紙を材料にして漉きあがっていくのを見て、子どもたちは狂喜した。物をつくるということに興奮した。こうした具体的な行動の中から、刑務所側との信頼関係が醸成されてきたとき、本や情報から隔離されている子どもたちの「本が読みたい!新聞が読みたい。」という要望を実現するために、私は監獄内に南アジアでは初めての子ども図書館を設置する活動を開始した。

この図書館が出来上がるまで実にいろいろの障害があったが、常に粘り強い説得で刑務所や世論を変えていったのが成功の原因だった。そして調査から2年たった2000年の11月、パキスタンや日本の松岡享子さんなどの有志やNPO2050、そしてNGOの友人など約30名からのご協力でラワ−ルピンデイ中央刑務所に収容されている子どもたち(十歳〜十八歳)を対象とした子ども図書館が完成した。建物の全経費は50万円。絵本や物語など1500冊以上が個人や出版社から届けられた。男女の子どもが本を読んでいる絵看板も掲げられた。


この図書館はウルドー語で「太陽の光」を意味するキランという言葉をとって「キラン図書館」と命名された。太陽の光のようにすべての子どもたちに「明るい光」が等しく行き渡るようにという願いからである。図書館の建物は六メートル四方だから大きいものではない。しかし建物をチェックしているとき、狭い牢獄から図書館の建物をじっと見つめている大勢の子どもたちの熱い視線を感じた。かれらは必死に助けを求めている。知識は光になるのだと思った。そのため彼らからも図書館の内容についてアンケートを集め希望の本を募った。幸い子どもたちの半数は読み書きができたので、読めない子どもは読める子どもの読書を見て刺激を受けることになった。

また図書館を運営するボランティアによる識字クラスの開設も計画し、無罪の子どもたちを救うために弁護士を交えた救援会も組織された。子どもの牢獄はパキスタン社会の深刻な矛盾がそのまま反映されている。貧しいが故に犯罪を犯したり、無知な故に投獄されたり、家族から見放されていく子どもたちに、文字や絵や写真や職業訓練を通じて励ましていこうとする試みは、小さくてもこの社会に大きなインパクトを与え始めた。

見える世界・見えない世界・ヒューマン・リテラシー

その昔、私は「びっくり星の伝説」という物語を書いたことがある。物語の中で人間という存在は「言葉と手」をもっているために他の生物とは異なって、非常にユニークな文明を築くことが可能となり、とくに「言葉」は目に見えない世界や事物を容易に描写し想像させることができたが、人間の「手」はそれを実際に目に見える世界に具体化させることができ、この両者の協力によって人間は文明を発達させたが、その使い方を誤ったために人間の文明が消滅しという物語である。


1998年5月、私はパンジャブ州の農村地域でノンフォーマル学校を二百校設立する式典に出席した時、文部大臣の口から次のような祝辞を聞いた。「今日、我が国には10数人のカディール・ハーン博士のような科学者が存在している。彼らの努力によって今日、我々は素晴らしい科学技術を達成することができたが、識字教育とはこのような科学技術の発展に大きく貢献するものである。学校がますます増えることによって、我が国の核開発がますます進展していくことを希望する。云々」私はこれを聞き怒りが込み上げてきた。

カディール・ハーン氏とはパキスタンの原爆開発の父とも言われる有名な科学者である。もし識字が核開発のような目的のために使われるものならば、その識字は完全に間違っている。」そして、咄嗟に私はその為政者が発言した識字に関し、ヒューマン・リテラシーという新しい概念を考えついた。「識字は哲学や方向性を持たなければならない。識字とはただ単に読み書き計算ができるかどうかの技術能力の問題ではなく、豊かな人間性を有し、普遍的な目的や内容をめざすものでなくてはならない。人を不幸にし、人を殺す識字がこれまでの歴史でどれだけ推進されてきたことか、そして現在もまたそれは続いている。


文字によって表現される知識や技術は、人間のありかた全体に真摯なる責任をもたなければならない。識字とは人を生かし、争いをなくし、人間同士が信頼できる世界をつくるためにこそ存在する。」 そう考えて、ひるがえって日本の現実を考えるとき、今の日本の文字や知識、情報や技術は人々が果たして幸せになるように使われているであろうかとも思えた。そのためヒューマン・リテラシーインデックス(HDI)という新しい概念を書き始めた。式典が終了し、約6時間のドライブのあとイスラマバードへ帰宅した日の夕方、パキスタンがインドに対抗して初の原爆実験をチャガイ丘陵で行ったという知らせを聞いた。

ICLCによるカシミール共同出版

パキスタンから2000年11月に帰国した私は、ACCUを退職し、これからNPOやNGOの活動を積極的に行いたいと決意し、新たに国際識字文化センター (ICLC)という国際NGOを友人たちと開始した。ACCUを去ることは断腸の思いだった。人生のすべてを賭けて、アジア地域でユネスコ活動を行ってきただけに、天下りの腐敗した官僚たちのやりかたには我慢ができなかった。そこで私は新しい国際NGOの設置に賭けることを決意した。

もともとICLCは1997年5月に東京に設立していたもので、数人の友人がそれまで東京やイスラマバードを拠点に活動を行っていたが、2001年からは東京を拠点に始めたのである。そして国内の教育専門家や大学院生などを対象に識字教育の哲学や方法論などを伝えながら活動を開始したが。これが新しい喜びを生み出す母体となっていった。小さくてもいい。本当のものを求めたいと思った。

(1)アジア各国の識字教育の専門家養成や多様な識字プロジェクトの創設
(2)識字を通じてカシミールや北東アジアの平和絵本の共同出版計画
(3)アジア地域ーカスールなどで進行している環境問題への識字協力
(4)人間教育のための子どもや大人の自立のため
「絵文字による地図作り(日本、韓国、インドなどの小学校の教師や生徒対象)」
(5)ヒューマンリテラシ-を通じた多様なコミュニケーション方法の実践
(6)多様な教材開発と教師養成活動など
を推進し始めた。

識字ワークショップもテーマを代えながら、国連大学の1Fwo会場として、11回開催され多数の参加者が出席した。私としては途上国の基礎教育や識字教育を理論と実践面から同時にすすめる国際的な教育NGOとして立ち上げたのであるが、パキスタンから古くから知り合いの著名な女性大臣(パンジャブ州)や中国の専門家などが早速会員になりたいと申し込んできた。考えてみるとカシミール問題は、インドとパキスタン両国の複雑な民族、宗教、政治、経済や社会問題あるいは武器の商人のや国際的な利害関係などあらゆる複雑な根が無限にからみあって存在している。カシミールにおける軍事的な膨大な予算は両国の社会や人間開発の構造に深く影を落としており、両国の宗教や資源問題をからめたお互いの憎しみあいはすさまじい。これが核競争の中でどのように火がつくか全く予断を許さない。パキスタンのある友人は「この問題は両国の人々がみんな絶滅したとしても絶対に解決のあり得ないもの。永遠に解決はない。」と語っていたが、その通り、その根たるや余りにも深く、憎しみあいの構造はあまりにも複雑で、複雑な民族、宗教、文化をもたない日本人の哲学や方法論ではとても歯がたたない問題だということはもちろん承知している。


日本では、隣国の韓国や中国との過去の歴史事実についての教科書の内容ひとつとってみても、日本人がどれだけ現在や将来の子供たちに普遍的な思考や哲学を伝えていこうと努力しているのか考えると疑問なところが多い。忘れやすい民族と言われる日本人が過去に目をつぶり国際社会でなにができようか?しかしそれだからこそ21世紀には新しい挑戦が必要であり、そのためのインドとパキスタンのカシミールを題材とする共同出版計画が考え出された、そして構想は1998年のIBBYのニュデリーの会議で発表し、多くの賛同を得て両国の画家と作家から2種類のドラフトの完成版を受け取った。そしてこの内容をさらに討議するため2001の2月に東京で5カ国の関係者が集まって出版編集会議を開催した。これは32ページのカラフルな絵本で英語、ヒンディ語、ウルドゥ語、カシミール語など4言語で出版が予定されており、文字通り世界でも画期的な共同出版になるのではないかと思っている。またアフガニスタンの難民の子どもたちへの新しい教育計画も多様な形で始まろうとしている。

コンピューター社会の識字(リテラシー)と 未来

今日の社会は、新しいコミュニケーションの方法の発展にともなって、コンピューター・リテラシーやメディア・リテラシーという新しい言葉が誕生している。これらはすべて、今日のコンピューター社会で生き残るために必要なコミュニケーション能力の形成を意味している。つまりリテラシーの問題とは人間のコミュニケーションのありかたを時代に従って、どのように形成するかという課題でもあるが、知識や情報の貯蔵加工・伝達方法が変化すればそれにともなってリテラシーの概念も大きく変化してくるに違いない。

識字の問題は、それぞれの時代の文明のありかたをリアルに表現しており、現代のように多様で大量な情報の海を生きるためには、テレビや広告や宣伝などあらゆるメディアについての批判的能力の形成も子ども時代からの非常に重要な能力形成となっている。それは今日の多様なメディアに十分にアクセスできる能力と同時に、それを分析評価したり、あるいは多様な形態でコミュニケーションを創りだすことのできる能力を指しているもので、それはこれまでの社会がもっていた読み書きなど文字を中心に考えられてきた識字(リテラシー)の概念を超えて、映像やあらゆる形態の電子コミュニケーションを広く理解し、創造する力を含んだ新しい概念である21世紀にはコンピューターによってますます多様で迅速なコミュニケーションが実現するだろうが、それが人間性を大事にするものでなく市場経済の成功を求めるための単なる機能や効率を求める場合には、取り返しのつかない人間疎外が生じてくるだろう。

しかし現代世界は識字(リテラシー)を狭義に理解し、文字文化を偏重するあまりに自然の視覚・聴覚・触覚・味覚・直感・運動などコミュニケーションの大いなる可能性を十分育ててはこなかった。特に、日本の子どもたちは、学習指導要領などに代表される読み書き能力を中心とした学力偏重によって、豊かな想像力やたくましい創造力を養う機会を奪われてきた。その結果人間的な感受性や表現能力が非常に乏しい結果となっている。そのためには、コンピューターによる能力の開発だけでなく、自然や人間の基礎にある豊かな生き方を絶えず実感しながら、世界の人々とともに「本当の言葉や文字を求めて」人間的な自立や創造のための識字活動(リテラシー)やコミュニケーション活動を行っていくことが求められているのではないか。


アジアやアフリカの人々は叫んでいる。”人間的な生活を送るために識字を下さい!” 生存するために知識を下さい!世界で最も重要な位置にある子どもと女性に喜びと幸せをもたらす識字を与えて下さい!と。それは今日のアフガニスタンの子どもや大人たちに共通する叫びである。そして識字者である私たちの課題とは、情報化時代における普遍性と倫理に基づいた人間的な識字(ヒューマン・リテラシー)を確立し、これを世界の人々とともに実践していくことではないかと思う。つまり。本当の識字事業とは、人間性を豊かにし、世界を平和に作るものでなければならない。文字を学ぶ目的は人を殺すことを学ぶのではなく、人や社会を生かしてお互いが理解しあう内容を学ぶべきなのだ。こうした人間的で普遍的な理解をともなった識字事業を創造してゆくためにも、これまでの経験をフルに生かして、「国境を超える新しいプログラム」や「希望の作りかた」をこれからの世代とともに実践していきたいと強く念願している。




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